ちょっと、シエスタ

さぼりグセのある元ダメアラフィフ、現ダメアラカンが日々の出来事を気ままにつぶやきます

きれいに家族を看取るというのは、どういうことだろう?

先週の水曜、母を看取りました。

 

最後は何日も意識がなく、ただ息をしているだけでした。

そこで考えさせられたことを少し書いていきます。

死を待つような状況

点滴

末期がんで亡くなる2ヶ月前から、緩和ケアという最期の医療にかかっていました。

あとは死を待つだけの状態です。

 

本人もなるべく最期は早く行きたいと言っていました。

 

なので最期の数日間はどうすればいいのか
わかりませんでした。

 

3連休初日の土曜あたりから会話もできなくなり、

もういよいよと言われて交代で見守ってました。

が、

元来、心臓が強いので結局、呼吸はずっと続きました。 

 

 がんそのものでは死なない

「あと1ヵ月ぐらいです」と言われたときに、ふと思いました。

 

どうやって死ぬんだろう?

 

少し語弊があるので言い方を変えると

 

何によって死に至るのだろう?と。

 

がんは増殖するとき大量の栄養を独り占めするようで、そのことによって他の細胞が弱っていきます。

 

また肺にがんが広がれば呼吸ができなくなる。

肝臓にがんが広がれば代謝ができなくなって毒が体の中に溜まっていく。

それが死に至る…

という漠然としていたことがわかりました。

 

楽にしてあげてほしいと切に願った

シロツメクサ

なので母の場合、大腸がんは全て切除できましたが、

転移していた肝臓がんが取りきれない場所に残っていて肝機能が衰えてきているので

体の中にどんどん毒が溜まっていく状態だったのです。

 

それがわかっていたので、

「もう早く楽にしてあげてほしい」と思ったのが

正直な気持ちです。

 

息を止まるのを待っているのか

結局3連休を超えた火曜も休みをもらい見守っていましたが

しっかりと息も脈もありました。

 

そうするとなんだか、だんだんと息が止まるのを待ってるような気になって

とても変な気持ちになりました。


そばにいて、今、息が止まるのかと待つみたいです。

 

いや実際そうだったのかもしれません。 

 

いたたまれなくなり、考えたあげく

翌日の水曜は仕事に行きました。 

 

最期に立ち会えたのは幸せか

木漏れ日

仕事中に病院に行った息子から連絡があり、

呼吸も少なくなり、血圧も下がり、尿も出なくなり

「もう本当にあとわずか」という連絡が入りました。

 

今度ははっきりと、もう逝ってしまうんだと思いました。

 

翌週〆切の仕事を片付けて、病院に駆けつけました。

そこから5時間後に見送りました。

 

息をひきとる瞬間を

 

看護士さんは、家族に見守られながら幸せだったと思いますと言ってくださいましたが

最期の瞬間をむしろ見たくなかった

と思うのはワガママでしょうか?

 

家族の最期に立ち会えなかった人から怒られそうですが

実は正直な気持ちです。

 

こればかりは、なにが正解かわかりません。 

 

もし自分なら一人で旅立つのはいやだろうか?

すぐに答えは出ないですが、その時のために考えていこうと思います。

 

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